趣味の文芸

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三浦流家元

この記事は2019/3/17 アメブロ 「くるみうりのブログ」に掲載したものです。お猫生活ブログの中で書いておりましたが、文芸ブログ開設に伴い移転させています。 *********************************************************************************   

 このようなタイトルにしたからと言って、日本の古典芸能への見識が私にあるわけでは決してない。むしろ2時間サスペンスドラマに対してただならぬ造詣の深さがあるせいなのであるが、大知君のYouTube動画を見て踊る大知君に家元的な存在感を感じたのは事実である。そして遅咲き大知ファン生活を始めた私が洋楽体験の次に驚愕したのは、やはりYouTube動画であった。多くのファンの方々同様に重度の中毒を発症し、禁断症状を抑えるべく毎日繰り返し「Right Now」や「Replay」など片っ端から動画を観まくるようになった。

www.youtube.com

 

 まず大人世代として声を大にして申し上げたいのは、今の時代のダンサーさんたちは凄い!!凄すぎる!!という事である。私が小学生だった時代、芸能界におけるかっこいいダンスの最高峰は「ピンクレディ」だった。当時世の中に今ほど難しいダンスはなかったと思う。その後ダンスの進化が加速したのはマイケル・ジャクソンが名作「スリラー」と共に世に現れて以降ではないだろうか。みるみるうちに日本のアーティストのダンスレベルが上がってきた。この文章を書くにあたって現在のダンスの映像を少しばかり見たのであるが、その難易度の高さ、表現の多様さ、身体操作の複雑さ、どれをとってもすごくて見入ってしまう。私などにはもう十分に見える技術に日々磨きをかけて進歩させている。そしておそらく健康や身体に対して節制とメンテナンスを常に怠らないのだと思う。そういう努力を補って余りあるほどの「踊る幸せ」という私の知らない世界があるのだと思う。ダンス門外漢である私がダンスについて語る不遜は承知であるが、私のこの溢れるリスペクトを汲んでご容赦いただきたい。

 で、大知君に戻るが、大知君の動画がこれほどまでに見る人を惹きつけ、ファンの方が言うように中毒性があるのか少し考えてみたい。ダンステクニックがすごいというのは当然なのでそれ以外で、という事である。

 

 第一におそらく誰もが感じる事かもしれないが、大知君のダンスには「ドヤ感」や「仲間内感」が全くない。アウェーな雰囲気に敏感な大人世代でもとても楽しく観られるのである。子供時代から芸能人である彼は、早い時期に「うまく踊れる自分を見せたい」段階を卒業していると思われる。エンターテイメントとして提供するという姿勢に徹していて、周りのダンサーもそのスタンスを継承している。その事が視聴者が繰り返し見ても喜べる要因の一つになっているのではないかと思う。ダンスが若者のやり場のない感情の昇華の有効な手段である事は理解していても、ストリート系と言うのかヒップポップ系と言うのか男子系のダンスに対して偏見があり、敬遠しがちだった私が真っ先に感じたことだった。

 

 次に挙げたいのは大知君とダンサーさんとのコンビネーションのレベルの高さである。

s**t kingz の皆さん、Shingo Okamotoさん、PURIさん、SHOTAさんなど、長い方だと10年以上ご一緒されているとか。シンクロの完璧さはもちろんだが、あうんの呼吸というか、同じ曲のパフォーマンスが、現場現場で最適なチューニングでぴたりと決まっているように見えるあたり、他のアーティストではちょっと無い見応えがある。特筆すべきは大知君の左右にShingo OkamotoさんとPURIさんが入った時の、お二人の発する気が半端ない。目立とうとしているというよりむしろ護衛に近い感じがする。まるでSPのような黒澤映画のようなオーラを感じて目が離せない。こういうダンサーさんのレベルの高さがトータル全体のレベルを引き上げている。大知君が三浦流宗家家元ならダンサーさんは宗家を守る三浦陰流の隠密集団のようではないかと妄想が暴走する。大知君やダンサーさんはこれだけの身体能力をお持ちなのだから、忍者のアクションかっこいいだろうな~見たいなあ~と、妄想が止まらないのでこの辺でやめておく。

 

 最後に述べたいのは、ダンス表現の繊細さについてである。大知君の楽曲は1曲1曲楽曲ごとの個性がくっきりと際立っていて、エンターテイメントとしてのテーマがしっかり存在している。そのテーマを深いレベルで解釈し、コンセプトに合わせたパフォーマンスに仕上げるという点でとても優れていると思う。かっこいい事がメインだが、ただかっこいいダンスという振り付けではない。私が一番それを感じたのは最高難度のダンスの1つと言われる「Cry&Fight」である。

 この曲のテーマはタイトルのCryでもFightでもなく「困難に立ち向かう静かな決意」と言うべきものではないかと思う。「静かな」がとても重要で、ただの「決意」ではない。私にはこの曲のダンスは葛藤からの決意という内面を描写しつつ、漂う静けさをも表現したパフォーマンスに見える。ダンスそのものは激しい動きが続くのだが、ジャンプした後の足の置き方のソフトさとか、効果的な動作の停止とか、無駄な動きがないとか、極力「頑張っている」感を出さないとか、見れば見るほど細やかに作られている。全員の呼吸さえ静かに整えられているような印象があり、そして何より表情の穏やかさが静けさを感じさせるのである。圧巻なのはラスト手前の間奏部分、音楽があっても既に「無音ダンス」のような印象がある。この楽曲の振り付けはShingo Okamotoさんとの事であるが、最高難易度とダンスと楽曲のコンセプトを両立させる力、素晴らしい才能である。

 

 いろいろ書いてきたが、大知君とダンサーさんのパフォーマンスはとにかく「理屈抜き」ですごくてカッコよくて気持ちいい、というのが一番しっくりくる。まるで重力から解き放たれたような軽いステップで、視聴者にそう思わせてくれる。おそらく私たちが想像する数倍、数十倍も細かな様々な試行錯誤、作っては直しを繰り返し、練習を重ねて世に出された作品であるが故、何回か見た程度では決して視聴者を飽きさせない、奥深い魅力を備えているのだと思う。そしてこれだけ大勢の人を虜にする大知君の作り上げたダンススタイルは、一つの「流派」として100年後の世に残っているかもしれない、といささか壮大な未来を提示する形でまとめたい。大知君のダンスと言えば、の「色気」についてはまた別の機会に考えたいと思う。

 

 最後にダンスリハーサル「Right Now」1000万回視聴達成、おめでとうございます。

達成直前の追い込みにちょっとだけだが貢献できてとても嬉しい。

 

                              玖海 有理